徒歩旅vol.008 身延線に乗り福士川へ 2003/05/10~12
全国の福士さんこんにちは。
青森や岩手の出身の福士さんも、私のように父が青森出身の福士さんも。福士加代子さんや福士蒼汰くんが知名度を上げてくれた「福士」という名字ですが、山梨には「福士川」って川が流れているのを知っていましたか?今回は福士川のお話です。
その前に。前回の話、5月9日にPHSが壊れました。沼津市内千本松原付近での話。10日に沼津市街に戻ってPHSを預けました。いつ修理が終わるのか誰にもわかりません。しばらくどうすべきか・・・・。
いろいろ考えて、結局徒歩を挟みつつ身延線で少々旅立ってみることにしました。
もともとこの足で行ってみたいと思っていたのが、冒頭で触れた「福士川」です。山梨県南巨摩郡の南部町にあります。福士川もあるのですが、福士川流域は地名自体が「福士」です。ここらはちなみに巨摩は「こま」と読みます。バリバリ伝説の巨摩郡の出展はここと思われます。
10日は富士市まで歩き、11日に身延線に乗りました。
福士川への最寄りは井出駅と思われますが、富士川の対岸になってしまうので十島駅下車。富士川を渡って福士川河口へ。そして10キロ少々上流へ登っていきました。
さらに上流に行けば渓谷になっているようですがさらに奥まで行ってしまうと引き返して来られない可能性も高く渓谷への入り口付近で折り返し、5キロほど戻ってキャンプ場で一泊しました。
「福士」という名字の由来は諸説ありますが、冨士浅間大社の宮司が武士になったとき「富士」のウをネに変え福士を名乗ったのが始まりと言われています。
この辺りは「南部町」ですが、南部の由来は南部氏であり、現在の岩手県付近を治めていた南部氏の古里がこの辺りです。南部氏は甲斐源氏で武田氏の配下。家紋は武田氏と同じ武田菱でした。
平泉の藤原氏討伐で活躍し、東北の地を得て甲斐から東北に移ります。福士氏は南部氏臣下であり、この時福士氏も東北に移り住んだと思われます。
盛岡城は南部氏の居城になる前不来方城として存在していましたが、この城主こそが福士氏で南部氏以前に盛岡を治めていたのが福士氏になります。福士氏はその後失脚、八戸・津軽への移り住んでいったようです。
津軽の方でやたら武田菱を見かけますが、そんな歴史と深く関わりがあるのだと思います。
また東北出身の「駒(こま)」が入る姓も「巨摩」由来であるかも知れません。
そんなこんなで楽しみにしていた福士川散策は終了。
次は身延山を目指します。
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