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世の中、経験してみないと
わからないことだらけですね。

たのしいラグビー観戦No.101

窪田新監督の紹介

※窪田監督の現役時代さくら組によく遊びに来てくれていた「窪田くんの実家の5軒(くらい)隣に住んでいる方が語っていた内容」「当時チームメイトだったと思われる方が掲示板に書き残していた内容」など、裏付けの取れていない内容が多く含まれています。ご注意願います。

窪田監督は山梨県日川高校の出身。日川から日大に来る部員は山梨南中が多いようですが、窪田監督は一味違い春日居町の出身です。ちなみに山梨南中は山梨市にあります。春日居町は律令政治が始まったころ甲斐の国府が置かれていたのでないかと言われている歴史ある町です。中学時代はバスケ部の他ラグビーや陸上競技にも勤しみ、ラグビーはもちろんバスケではダンクを放ち陸上では100mや砲丸投げ、高跳びでランキング表に掲載されるなど神童として地元では有名だったと聞いております。窪田家近くの畑で「俺は昔足が速かったんだ」と言っていた髭の立派なお爺さんがいたらしく、窪田監督のお爺さんだったかも知れません。

高校時代は1年生から花園に出場。主にフルバックとして活躍し2年次は同級の山崎弘樹さん(早稲田→トヨタ)や横瀬一成さん(日大→東芝)らとともに旋風を巻き起こしてベスト4に。最終学年ではこの結果を超えることは出来ませんでしたが、高校日本代表には横瀬さんとともに選出され、イングランド遠征に参加。全勝で終える伝説の遠征にあって5戦中4戦に出場する活躍でした。当時のどかな田舎住まいということもありイビキを掻いて寝るタヌキを飼っていたという噂もありますがこの噂の信ぴょう性は高く、「投稿!特ホウ王国」に投稿しようとしていたという噂の出所については謎です。

日大では2年生の時からウィングでレギュラー。1学年上の北條純一さん(サントリー)と2枚看板として活躍し4年次に副将を務めています。

おっと!隣にいるのは今利真心人くんの父君ですね!同級生です!

この頃さくら組の掲示板にも遊びに来てくれていました。現役時代の窪田監督は甘いマスクで日大のスターかつアイドルでしたが、当時の日大の応援席では窪田監督の妹さんがスターかつアイドルでファンクラブが存在していました。瑞穂で行われた3年次の選手権1回戦大阪体育大学戦で何気に私の隣でファミリーで観戦しておりましたが(たまたまです。私が狙って隣に座ったわけではありません、念のため)、対面の快速ウィング森くんが独走態勢に入った際私の隣の隣で観戦していたお母様と思われる方の「幸一郎!これを止めなきゃダメ!」というゲキに応えて森くんに追いつきバシッと倒したもので、軽い戦慄を覚えました。

北條さんが抜けた4年生の時は責任も仕事も負担も増えましたが、当時珍しいオープンサイド専門ウィングとしてプレーしグランドを縦横無尽に駆け巡っていました。東西学生対抗戦に選出された際は他のメンバーがいまいち動いてくれない中、同じく日大から選出された横瀬一成さんとともに獅子奮迅の活躍。「やる気があるのは日大の2人だけ」と観戦に駆け付けたマニアックなファンにその名を轟かせました。

窪田幸一郎の名を全国のラグビーファンの間に知らしめたのはなんといっても2002年の日本選手権決勝です。NECに入部し1年目からレギュラーの座をしっかり掴んだ窪田監督は国立競技場で躍動。当時最強と名高かったサントリーを相手に逆転トライをぶち込み(後半35分)、さらに39分には80m独走してトライを決めてNEC初の日本一を決定付けました。

その後は日本代表にも選出され2017年までNECでラグビーを続けました。今年日野レッドドルフィンズの久冨雄一選手が公式戦出場174試合を記録しましたが、久冨選手と窪田監督はNECの同期であり窪田監督トップリーグ出場132試合に出場しています。NECを去った後もクラブチームであるIBMビッグブルーでプレーを続け2021年より日大のバックスコーチに就任しています。

文武両道を基本と掲げる林真理子理事長も日川高校の出身で、窪田監督は理事長の後輩にも当たります。

思いがけない監督就任になったかも知れませんが、様々な経験を持っており文武両道を目指すには打ってつけの監督だと思います。ぜひとも骨太のチームを作り上げてもらいたいと思います。

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