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たのしいラグビー観戦No.104

復活した今田洋介コーチの紹介

今から20年近く前の2003年07月3日早朝。

「インターネットさくら組」の投票箱のコーナーに、以下のような悲痛なメッセージが投稿されました。

今田洋介(テクニカル部門担当)
2003/07/03 06:05
部屋きれいにして下さい。後輩一同より。
今田洋介(テクニカル部門担当)
2003/07/03 06:06
もう一度言います、部屋きれいにして下さい。後輩一同
今田洋介(テクニカル部門担当)
2003/07/03 06:07
三度目です!部屋きれいにして下さい。後輩一同

意思の強さを感じる3連発ですね。この年、「今田洋介(テクニカル部門担当)」さんは2年生。ラグビーマガジン付録の名鑑の出身校には「黒沢尻工業」と記されていました。「今田洋介(テクニカル部門担当)」さんは日本大学高校の出身なので、完全な誤植でした。

今田洋介容疑者
(2年当時)

テクニカル部門とは当時(の少し前)日本代表チームに平尾誠二監督が相手の戦術・サインからクセに至るまで綿密にスカウティングするために作ったセクションです(その凄さは平尾プロジェクト生だった川松総監督がブログで熱っぽく語っていたほどです)。今田コーチは今でもラグビーの様々なプレー・戦術に詳しく頻繁にTweetしておりますが、これはかなり若いころからそうだったのだと思います。先輩にイジられこの名前で投稿されているものと思われます。

長くサイトを運営しているといろいろなことが起こるもので、今田洋介さんの父を名乗る御仁から唐突にメールを賜ったことがあります(もちろん本人だと思います)。このメールによれば、今田コーチはかなり小さい頃からラグビーをしているから(幼稚園か小学校かその前からかは忘れました)、よくラグビーを知っているはずだ、とのことでした。幼稚園からラグビーをしていてもいまいちルールを理解していないプレーヤーもいるので、ラグビーをよく知っている、勉強しているのはおそらく性分、性格なのでしょう。

さて、稲田コーチの紹介でも触れていますが、今田コーチの同期は多くのたいへん良い選手がいました。2年生の時、ちょうどこの年に多くの選手がメンバー入りし、すでに屋台骨を支えていました。当時の流行語でいえばまさしく「黄金世代」です。

「この代が4年になった年は関東・法政と勝負出来るのでは(※当時のリーグ戦は関東学院と法政が当たり前のように最終戦で全勝対決を行っていました)、優勝を狙えるのでは」と多くのファンは思っていたし、当然当人たちも「俺たちが4年になったあかつきには」という思いがあったでしょう。

しかし。この代はリーグ戦6位に沈み選手権に出場出来ませんでした。

序盤こそ東海・流経に危なげなく連勝しましたが、勝利を収めた中央大戦から徐々に空転しはじめ、負けないはずの相手に負けてしまいました。その後法政大には3点差まで迫りましたが勝つことは出来ず結局3連勝のあとの4連敗でリーグ戦を終えてしまいました。

そんなはずはない。この子たちがこんなに苦しむわけがない。誰もがそう思ったと思います。

才能溢れる世代がこんなに苦しんでしまった理由は明らかでした。

素人から見ても、彼らが適切なコーチングを受けられていないのは明らかだったのです。

当時チーフコーチをしていた方から「我々の力不足、間違いなく一番才能ある世代を勝たせてあげられなかった」というメールを頂きました。仕事をしながらコーチしてくれる方々を誰も批判できませんでしたが、コーチの方々もやはり悩んでいたのでしょう。

当時の部員たちも思うことはあったのではないでしょうか。

今田コーチは、才能あふれる選手たちを伸ばして行く・勝たせていくには選手たちはもちろんコーチ陣の力も必要であることを自らの経験から知っているのではないかと思います。

自分では口にしないかも知れませんが、熱意あるコーチングを続ける原動力になっているのは性格・性分だけではなく、今田コーチ自身の学生時代の経験もあるはず、と私は勝手に思っています。

今田コーチの紹介でした。

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