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たのしいラグビー観戦No.102

稲田仁ヘッドコーチの紹介になっていない紹介 

帰ってきた稲田三兄弟

『FL稲田仁は、一卵性双生児の兄・元がいる。2人の性格はまったく正反対であり、元は、誰にでも優しく、もちろん女性にもいい奴だが、仁はかなり短気らしい。2人とも誰にも負けないくらい熱いが、汚さではチーム1、2を競うらしい。』
※この紹介はラグビーマガジン平成13年2月号別冊付録第80回全国高校大会完全ガイドに掲載されていたものをそのまま転載したものであって、私の主観は一切入っておりません(東福岡高校で花園に出場しています)。

こちらの写真は4年次の名鑑に掲載された写真。隣は双子のお兄さん元さん。窪田監督の時代と比べると予算が削られたのか、A3コピー用紙に印刷されています。ちなみに弟の充さんも日大ラグビー部に入部していたため、「稲田三兄弟」と呼ばれていました。

稲田コーチは何を隠そう公式ページにずっとメッセージを寄せておられます。

女子7人日制日本代表ヘッドコーチを務めていました。日大を卒業してからの活躍はよくご存じの方も多いと思います。「稲田仁 ラグビー」で検索すると記事もたくさんヒットしますので、割愛させていただきます。

日大ラグビー部ではタウファ統悦さん(大東大以外で初のトンガ人留学生)や手塚洋成さんと同級。当時毎年入学していた高校日本代表級の選手がおらず、無名の選手ばかりの代でした。監督が育児放棄してしまったのかあるいは経験を積ませたい親心だったのか、彼らはまとめてジュニアに放り込まれました。当然、毎試合ボコボコにされました。2年生になると才能あふれる後輩達が入部してきたので(今田コーチの代)、活躍の場の確保が危うくなりました。さらにチーム運営に問題があり、3年になるときと最終学年になるとき、2年連続で大人の場外乱闘に巻き込まれ相次ぐ体制交代に合いました。

しかしそんな中でもこの代は腐らず、へこたれず、やさぐれず。健全な精神を育み、試合に出られない部員も後輩を引っ張っていきました。

結果、東海大と流通経済大を撃破し文字通り旋風を巻き起こして大学選手権に出場。選手権では慶應義塾大にあと一歩と迫りました。

私にとっても大変思い入れのある代です。たびたびTwitterで紹介している「大和醸造」の藤原慶史さんもこの代です。

稲田ヘッドはスカウトからコーチに転身し勉強を続けたとのことで大学卒業後に学んだことも多いと思いますが、この大学4年間の経験もきっとコーチングに活かしてくれるものと思います。

ところでネットに溢れているプロフィールには三重県志摩市の出身とありますが、志摩市が誕生したのは2004年であり、稲田コーチが大学4年生の時です。その前は阿児町、浜島町、磯部町、大王町、志摩町の5つの町でした。なぜこんなことに拘るのかといいますと、私が個人的この辺りが好きだからです。

賢島がある阿児町(英虞湾)
伊勢海老漁が盛んな浜島町
「絵描きの町」大王町
スペイン村で有名な磯部町(的矢湾)
海女の町志摩町

これらの写真を撮ったのは徒歩旅を続けていたころの私で、リアス式海岸が歩くのはつらく中々距離を稼げなかったのですがとても風光明媚な地域です。

話が逸れましたが稲田コーチは磯部町の出身のはずです。伊勢海老、さざえ、アワビから真珠までなんでも揃ったと思います。

志摩の磯風に育まれ、東福岡高で揉まれて、風雲急を告げる日大でも挫けなかった稲田仁コーチの紹介でした。

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