大学選手権とは?
大学日本一決定戦、準決勝・決勝は国立競技場
全国から強豪が集う選手権大会
選手権の正式名称は「全国大学ラグビーフットボール選手権大会」であり、文字通り大学ラグビー日本一を決める選手権大会です. 参加チームや対戦方法、シードチームの決め方などは時代によって移り変わりがありますが、第1回大会以外は「関東ラグビーフットボール協会」「関西ラグビーフットボール協会」「九州ラグビーフットボール協会」の代表校が日本一の座を争っています(第1回大会は関東・関西の代表が2チームずつ出場)。
各協会の主要リーグはそれぞれ「関東大学対抗戦」と「関東大学リーグ戦」、「関西大学リーグ」、「九州学生リーグ」ですが、関東協会からは東北地区・北海道地区の代表チーム、関西協会から中国地区・四国地区・東海地区・北陸地区の代表チームも参加しており、現在の参加チーム枠は「関東大学対抗戦」「関東大学リーグ戦」「関西大学リーグ」が3チームずつ、「九州学生リーグ」が1チーム、東北地区・北海道地区の代表チームが1チーム、中国地区・四国地区・東海地区・北陸地区の代表が1チーム、それに加えて前年決勝戦に出場したリーグのチームの所属するグループにプラス1の出場枠が与えられ(計2チーム)、計14チームとなっています。
かつて行われていた「交流戦」
こちらのページで解説しているように関東には「関東大学対抗戦」「関東大学リーグ戦」の2つのグループがあります。先述の通り現在では各グループの代表がそれぞれ選手権に参加していますが、1992年までは「関西・関東各4チームずつ」という決まりがあったため「関東大学対抗戦」「関東大学リーグ戦」から4チームしか出場出来ませんでした。
関東代表の4チームは対抗戦上位4チームとリーグ戦上位4チームが行う「交流戦」という名の代表決定戦を行って決めていました。交流戦の対戦カードは、
- 対抗戦1位vsリーグ戦4位
- 対抗戦2位vsリーグ戦3位
- 対抗戦3位vsリーグ戦2位
- 対抗戦4位vsリーグ戦1位
と言った具合に双方の代表チームを順位ごとにたすき掛けで決めていましたが、この時代は対抗戦のチームとリーグ戦のチームに戦力的な差があり、リーグ戦で優勝しても対抗戦4位に負け選手権に出場出来ない、といということばかりかリーグ戦のチームが1チームも出場出来ない、ということもありリーグ戦にとっては受難なシステムでした。かくいう日本大学も1985年にリーグ戦優勝を果たしていますが、交流戦で対抗戦4位の慶應義塾大に負け選手権出場を逃しています。日大が対抗戦のチームを破って選手権に出場したのはリーグ戦優勝を果たし対抗戦4位の筑波大を破った76年と、リーグ戦2位で対抗戦3位の慶應義塾大を破った1983年の2回のみでした。
準決勝と決勝の舞台は国立競技場
国立競技場で何か特別なことがない限り、現在選手権の準決勝と決勝は国立競技場で行われています(Wikipediaによれば国立開催になったのは1973年から、とのことですが手元の資料では準決勝が秩父宮で行われていた年もあります。少なくとも準決勝が元旦に行われていた第13回、第14回、第15回は秩父宮のはずです。元旦の国立競技場は当時サッカーの天皇杯決勝と決まっています)のでチームの目標として「国立を目指す」と言えば、必然的に「選手権ベスト4を目指す」という意味になります。
日大と国立競技場
日大が選手権でベスト4に入ったのは1965年、1976年、1995年、1997年の4回(準決勝は年明けなので日付はそれぞれ1年後です)。このうち1965年はリーグ戦分裂前でシステムが異なり、また資料も殆ど残っておりませんが準決勝の相手は早稲田大だったようです。
1976年は阿多和弘主将でリーグ戦優勝、先述の通り交流戦で筑波大、さらに選手権1回戦で天理大を破って準決勝に進出しています。秩父宮開催でした。1995年と1997年は阿多和弘主将が監督となって育て上げたチームで、国立に進出しています。ちなみに準決勝で敗れた相手は3回すべて同じ相手、明治大学です。
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