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日大と国立競技場①1976年
明治撃破にあと一歩と迫る

第13回全国大学ラグビーフットボール選手権 準決勝
日本大vs明治大

得点表

日本大 チーム 明治大
11 合計得点 22
前半 後半 ハーフ 前半 後半
7 4 得点 9 13
1 1 トライ 1 2
0 0 ゴール 1 1
1 0 PG 1 1
0 0 DG 0 0

メンバー表

日本大
No. 氏名 出身校
1 西川 近大付属
2 藤原 黒沢尻工業
3 久岡 新田
4 阿多 宮之城
5 佐々木 盛岡農業
6 高橋 秋田工業
7 小林 秋田工業
8 阿部 盛岡工業
9 金子 保善
10 及川 盛岡工業
11 山口 向工岡
12 大菅 日大二
13 谷地 盛岡工業
14 水崎 近大付属
15 戸嶋 金足農業
明治大
No. 氏名 出身校
1 木村 石巻工業
2 菊池 盛岡工業
3 中谷 天理
4 村瀬 名古屋学
5 瀬川 長崎西
6 高平 長崎南
7 吉野 目黒
8 熊谷 黒沢尻工業
9 岡嶋 花園
10 大平 目黒
11 井川 旭川工業
12 大山 報徳学園
13 福本 新田
14 山本 北見北斗
15 藤本 天理

はじめに

このページの話は1976年シーズンのお話です。選手権準決勝は年が明けて1977年元旦のお話になります。私はまだ若輩者ですが、当時のオレはまだ1才7ヶ月の若武者でしたので当時のことを知る由もありません。

さくら組が出来た頃はまだ1977年1月1日の試合のスコアがネット上にありました(当時は個人作成ホームページ全盛期でしたから、公式記録ではなくどなたかがアーカイブをまとめて保存・公開していたものかも知れません。単純にスコアとメンバー表のみの掲載でしたが、「日大が1976年のシーズンに選手権ベスト4に進出、明治大に11-22で敗戦、主将は当時日大の監督だった阿多和弘さん、戸嶋秀夫さんも同学年で出場」ということはこれで知ることが出来ましたが、どのような試合だったのかまでは知りませんでした。そこで、今回はせっかくの機会だからと思い立ち、当時のラグビーマガジン(1977年3月号)と1997年1月3日の読売新聞記事切り抜きを入手しました。

・・・そこにはスコアだけでは分かるはずもない激戦の記録、グラビアと記事、それに臨場感あふれる読者手記がありました。

さくら組を復活させ、本格的に運営を開始するにあたりこんな記事を投稿しています。「記録として残しておく」ことの大切さを痛感、スコア表だけ残しておいても不完全・・・・ラグビーの試合は「どんな試合だったか」をスコアだけで知るのは困難で、どのような試合だったかを残す必要がある、そう思って書いたことであり決意表明でもあります。
1977年1月1日の記録はネット上にはスコアすらほぼ残っていません。当時のことを知らない者が勝手に書いているので知ったかぶり、勘違い等はあるかも知れませんが、記録を含めてここに残したいと思います(敬称略)。

1977.1.1 秩父宮ラグビー場 日大FW、明治を圧倒

この年の準決勝は元旦開催。元旦の国立競技場と言えばサッカーの天皇杯決勝、というのは当時から決まっていたようでこの準決勝は秩父宮開催です。グラビアを見る限りそうとうぬかるんでいるようですが、過去の天気を見てもいつ雨が降ったのかは分かりませんでした(元旦は晴れ)。

この試合に関しての記事、見て感じたことは読売新聞も、ラグビーマガジンもほぼ同じ。誰もが同じことを感じる、そんな試合だったようです。ラグビーマガジンには世田谷区在住の佐藤道夫さんによる読者手記が掲載されておりますが、この投稿が当時の様子がよく分かる臨場感あふれる内容ですので、こちらの投稿も含めて投稿します。

どの記事にも書かれているのは日大FWの強さで、ロックの阿多を中心にした日大FWはどの記事を見ても「出足が鋭く」「集散素早く」「当たり強く」「スクラムが強い」という特徴が書かれています。佐藤さんの投稿には「日大FWさすがに強く」とあるので、日大FWの強さに関しては既に噂になっていたようです。さらに読売新聞には「日大FWの激しい当たりに明治FWが痛さを堪えきれずコロコロ転がる」とあり「スクラムも押し圧倒的優勢にあった」とありますので、日大FWの屈強さが伺い知れます。試合はこの日大の強力FWを中心に動いていきます。

追いつ、追われつ・・・接戦の末に

試合は接戦にして激戦でした。

前半9分 日大SO及川 PG失敗 0-0
前半13分 日大SO及川 PG失敗 0-0
前半15分 日大SO及川 PG失敗 3-0

前半20分時点、3-0で日大リード。PGの失敗が目立ちますが、キッカー及川は阿多・戸嶋と共に東芝に進み、長年SOで活躍した選手です。佐藤さんの手記には「名手のはずの及川がなぜあんなに失敗したのか」 とあるので、PG失敗は予想外だったでしょう。及川のキック不調がこの先勝負を分けることになります。

試合はロースコアで接戦のまま進みます。

前半25分 明治FB藤本 PG成功 3-3
前半32分 明治FB藤本 PG失敗 3-3

ここまでノートライ。最初にトライを挙げたのは日大でした。

前半35分 日大WTB水崎 及川のゴロパントを拾い右隅にトライ SO及川 G失敗 7-3

「明治は日大の激しい当たりに圧倒される」と評しているのは読売新聞。ラグビーマガジンにも「明治はさっぱりボールが出てこない」と記述がありますが、ボールさえ出れば明治のバックスには決定力があったようで、

前半37分 明治WTB山本トライ FB藤本 G成功 7-9

この試合初めて明治がリードを奪いました。このトライはラグビーマガジンには「CTBの大山と福本のコンビから」読売新聞には「福本の快走で山本のトライ」と記されていますが、どちらにせよ「スピードと個人技による見事なトライ」(ラグビーマガジン)だったことに間違いはなさそうです。

ともあれ、前半は最後に明治が逆転して終了。後半も明治がすぐに追加点を挙げます。

後半6分 明治FB藤本 PG成功 7-12

佐藤さんの手記によれば「これでワンサイドゲームになると思った」。会場の雰囲気もそうだったのでしょう。手記には会場内のヤジが書かれています。

「明大何やってんだ、恥を知れ」

「日大、所詮格が違うよ」

この日の第二試合は早慶対決で、早慶明そろい踏みですから、きっと伝統校のファンが多かったのでしょう。多くの観客が、この試合に関しては普通に明治が圧勝すると信じて疑わず、この時点でもそれを疑っていない。おそらく佐藤さんもその一人だったのではと思います。

そんな雰囲気が一変するのが、後半16分。

後半16分 明治のキックをチャージし、FL小林がトライ。SO及川 G失敗 11-12

まだ試合は決まらない。追いすがる日大。佐藤さんの手記には「12-11と1点差の大熱戦に」「場内はこのトライに騒然」とあり、ヤジも次第に「明治、頑張れ」と正統派に変わっていったとあります。

熱戦の期待、明治への応援。会場が熱気帯びて来たのではないかと思います。

そして後半20分、この試合の流れを大きく左右するPGのチャンスを日大が得ます。

後半20分 日大SO及川 PG失敗 11-12

距離は30mほどとのこと。日大は絶好の逆転機を逃すと、

後半33分 明治が右オープンからWTB福本のトライ。FB藤本 G成功 11-18

これで勝負は決してしまったのか、

後半36分 明治 WTB井川のトライ G失敗 11-22

11-22でノーサイド。

こちらのトライは佐藤さんの手記には「常識では考えられないトライ」と記述されているものの、他の紙面には何もなし。どのようなトライかは不明のものの、ラグビーマガジンの見開き右の写真がそのシーンです。最後にタックルに行っているのは背番号10番に見えるので及川だろうと思います。

戦い終わって

-「残念です」。日大の吉川監督は涙をこらえるように天を仰いだ。7割方ボールを支配しての敗戦、悔しさが残っただろう-(読売新聞)

試合後の談話で残っているのはこれだけです。一言ですが、吉川監督の言葉には重みを感じます。
この試合の敗因は、どの記事にも同じようなことが書かれています。
「SO及川のキック不調」
「バックスの攻撃がいかにも単調」
「FWの集散に勝るがパントを多用しすぎてポイントを作れずバックスが拙攻」
「バックスのタックルが甘い」

かなり手厳しい感じで書かれていますが、結局のとことラグビーマガジンが総括に用いている言葉「大試合の経験の差」、これがすべてだったのだと思います。

現代にも続くもの

この内容・この感じはどことなく1999年の準々決勝・慶應義塾大戦に似ていますが、「大試合の経験の差」は現代にも言えることです。対抗戦は早慶明が昔から強く人気があり、早慶明同士の対戦で大舞台が経験できます。早慶明と対戦するライバル達も同じことです。大舞台を経験しながら切磋琢磨し選手権に臨んでいます。
対してリーグ戦の面々はなかなかこうは行きません。東海大が相手がどこであろうが手を抜かず大差で勝ち続けるのも、おそらくはこういった事情を身を以て知っているからこそでしょう。リーグ戦でいかに戦い大舞台に備えるか、これはリーグ戦のチームが今も抱える課題であり、ハリケーンズも直面するであろう課題でもあります。

最後になってしましまいしたが・・・・

大学選手権特設ページでずっとフィーチャーしている「ヘラクレス軍団」もこの時代から現代に続くものです。この年の日大FWの強さはまさしくヘラクレス、確かにそうですが、Twitterで先行公開したこの写真・・・・・

この写真の青年こそ当時主将の阿多和弘氏、言うまでも無く1990年代に「ヘラクレス軍団」を作り上げた監督です。

現在の中野監督も当時阿多監督の下でコーチをしており、窪田コーチや川松コーチも阿多監督の教え子ですから、この年の日大の魂は今の日大にも注入されているはずです。

「FWの強さ」が評価を受けていた日大ですが、サイズで勝るとか才能に勝るわけではなく「FWの出足・集散が早い」といったところ練習の賜物であったと感じます。

これもまた、現代にも続きこれからも続く日大の伝統となっていくのでしょう。

日大ピンク旋風

せっかくですので、当時のグラビア記事(ラグビーマガジン)を紹介します(モノクロ)。タイトル「日大ピンク旋風」。交流戦をリーグ戦で唯一突破、選手権一回戦では関西2位の天理大に圧勝し旋風を巻き起こしている日大フィフティーンの紹介です。

写真は当時の中心選手、卒業後東芝に進んだ3人。右上、インターセプトし独走する及川紳一氏。その下、カウンターから天理ディフェンスを振り切る戸嶋秀夫氏(故人)。おそらく日大OBで一番日本代表で活躍した方。パントを追いかけ、キャッチしようとする相手二人をまとめて倒した伝説を持っていますが、このパントを蹴り上げたのが及川氏。最後に左上、ボールを持っているのが阿多和弘氏。

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