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日本大学ラグビー部について
愛称はハリケーンズ

日本大学ラグビー部の現在地

援する前に、ラグビー部は強いの?弱いの?というところが気になってしまうのは人情というもの。強いか弱いかと聞かれれば強いです。でもまだまだ成長段階。強豪チームへの階段を、一歩一歩登っているところだと思います。

努力が実を結ばず、どんなに選手が頑張っても勝てなかった時代もありまが、強化が実を結び、2019年に今まで勝てなかったチームに勝てるようになりました。

ついに努力が実った。
今まで勝てなかった法政大・流通経済大に続いて大東文化大に僅差で勝利。開幕3連勝で東海大戦と全勝対決へ。

この年、大学ラグビー日本選手権出場。緒戦の相手、京都産業大は強化のために何度も胸を借してもらった相手で、今まで一度も勝てなかった相手でしたが、競り勝ってベスト8進出。喜びを爆発させます。

準々決勝の相手は名門・早稲田大。ベスト4目指して戦うも完敗。まだまだ名門の壁は厚いことを知り、努力を重ねていきます。

2020年は昨年僅差で勝った相手に、大差を付けて勝てるまでに成長しました。大学ラグビー選手権も当たり前のように準々決勝まで勝ち進み、名門の明治大と対戦。満を持して勝利を目指し対峙しましたが終盤差を付けられ敗戦。まだ届かない・・・・

名実ともに強豪チームになるために。関東大学リーグ戦優勝、さらには大学日本一になるために。まだまだハリケーンズの冒険は続いています。一言で言えば、ここが、ハリケーンズの現在地。

ヘラクレス軍団

本大学ラグビー部公式ページを覗いてみると、「GO 100 STRONG AGAIN」というスローガンが大きく書かれています。さらに「100周年に向けて」というページを見ると、「名ばかりの伝統校」など過激なフレーズが並び、復活への決意を見て取れると思います。

現在のハリケーンズの快進撃は、この決意表明と共にあります。このページに書かれているとおり、当時のハリケーンズはリーグ戦2部落ちも経験していましたし、強豪チームの面影をなくしていました。

インターネットさくら組が生まれた頃、1990年代後半のあたりの頃の話ですが、日本大学ラグビー部は「ヘラクレス軍団」というニックネームで知られるチームでした。当時ラグビー部は阿多和弘監督指導の下、当時では珍しかったフィットネストレーニングで鍛え上げられたの体強力スクラムを武器に強化を図っていました。強靱な体と鍛えたフィットネスで敵を弾き飛ばしながら戦う姿から付いたニックネーム、それが「ヘラクレス軍団」です。

阿多監督が就任した当初の日大ラグビー部も、2部にいました。前年2部落ちしていたのです。2部から強化を続け、1年で1部に復帰してさらに国立出場(大学選手権ベスト4)を94年、97年と2度経験。フィットネスの強化の他、授業に出て勉強する、大学生らしい生活をする、自立する・・・当たり前のことを当たり前のようにすることで実を結んだ強化です。98年以降も強化を続け、99年は大学選手権ベスト8に終わりますが優勝した慶應義塾大学にあと一歩と迫る活躍を見せました。「ハリケーンズ」という愛称を名乗るようになったのもこの頃から。また、インターネットさくら組はこの年のラグビー部の活躍に胸が熱くなって誕生したサイトです。現監督の中野克己もこの頃阿多監督の下でコーチをしていました。

ただ、ハリケーンズの起こした旋風も長くは続きませんでした。21世紀に入ると成績も停滞、さらにはお家騒動も勃発して監督交代を繰り返し、2006年には「通学定期不正取得問題」が起きてリーグ戦出場辞退、戦わずして2部落ちに。2007年に1980年代にリーグ優勝に導いた実績を持つ重田勇夫監督が就任して1部復帰、さらに2009年外部より加藤尋久ヘッドコーチを招聘。しかし戦績は奮わず、2016年に「ヘラクレス軍団復活」を目指して中野克己体制に入り現在に至っています。

現代に続く「胎動」

く続かなかった「ヘラクレス軍団」の時代ですが、「あの時代の熱さ」が今のハリケーンズの強さの元にあるはずです。あの当時現役だったGMが川松真一朗が招聘したのが、あの当時コーチだった中野監督です。おっさんの懐古主義、なんて言われるかも知れませんが今でもあの時代の脈動を感じることがあります。しかしながら、私よりもっと昔を知るオールドファンはもっと昔の日大を思い出すのかも知れません。これは私が全く知らない時代、70年代の話です。

日大が最後にリーグ戦を制覇したのが1985年。この時中野監督は現役のラグビー部員で、優勝に導いた重田勇夫監督は1974年の選手であり、実は阿多監督も同じ時代にラグビー部で時を過ごしています。76年(阿多主将)はリーグ戦全勝優勝、国立に立っています。日本代表のウィングとしてならした戸嶋秀夫氏(故人)もこの時代の選手です。90年代後半どころか、この当時既に現在のハリケーンズの「胎動」があったのかも知れません。当時は明治大学とグラウンドが隣同士だったこともあり、明治大学の北島監督に指導して頂いたとも聞いております。ひょっとしたら、「北島イズム」も入っているのかも知れませんね。

GO 100 STRONG AGAIN

っと前の話になると、1960年にNHK杯(現在の日本選手権・当時は学生代表と社会人代表が対戦)の出場経験もある日本大学ラグビー部。さまざまな人々が築いてきた様々な歴史の中、まもなく100周年を迎えようとしています。

100周年に向け、「GO 100 STRONG AGAIN」を掲げていますが、まだまだ戦い続けている最中です。長い長い前振りになりましたが、ここがハリケーンズの現在地のはずです。

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