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日大の全勝対決はいつ以来?
97年まで遡る

全勝での優勝決定戦

一昨年・昨年も強いチームでしたが、一昨年は4戦目で東海大に、昨年も4戦目に流通経済大に負けており終盤まで全勝で進んでいません。また、インターネットさくら組が開設された当時も強かったのですが、全勝で終盤まで勝ち進んだことはありませんでした。

日大が最後に終盤まで全勝で進み、事実上の優勝決定戦を経験したのは97年が最後です。私が現役大学生でしたのでだいぶ昔ですが、そこまで遡ります。

1997.11.22 雨の駒沢決戦

97年の日大は、阿多和弘監督による強化が進んでおり、1部復帰後3年目で一番戦力が充実していました。フィットネストレーニングで鍛えた体を武器に「ヘラクレス軍団」と呼ばれていた日大はバックスに当時日本代表候補だったCTB沢木敬介(4年・秋田経法大付属)、数少ないスター選手であったWTB北條純一(2年・盛岡工業)、初代トップリーグ得点王になるSO日原大介(日川・3年)などタレントを揃えていましたが、強力フォワードを前面に押し出しているFW中心のチームでした。FWの中でも特に3列の3人、”元祖茶髪ロン毛のフランカー”・FL古屋剛(4年・日川)、運動量豊富な7人制日本代表のFL鷲谷正直(3年・天理、鷲谷太希の父)、トライゲッターで”ドクターT”の異名を持つNo8龍啓之助(4年・日大二、ドクターと名が付いたのは龍が医者を志す医学部生だったから)は「日大自慢の3列目」とも呼ばれ、前評判も高く、その前評判通り全勝で勝ち進んでいきます。

同じく全勝で勝ち進んでいたのが関東学院です。関東学院には当時1年生だっ久富雄一、前年”スーパー1年生”と呼ばれていた淵上宗志、四宮洋平や立川剛士などがおり、キャプテンは箕内拓郎でした。

この2チームが、最終戦を残し残り2戦で直接対決。会場だった駒沢陸上競技場は雨だったので、この一戦は一部のファンから「雨の駒沢決戦」とも呼ばれています。前半戦は日大が意表をついてバックスで勝負に出て北條純一・沢木敬介のトライなどで得点を重ね、22-20で折り返しました。しかし後半「大人のラグビー」を標榜する関東学院がしっかり修正。逆転され、29-41で敗れました。ちなみにこの年、関東学院は創部以来初めての学生日本一を達成しています。日大も選手権ベスト4に入りました。

私はこの試合をテレビ神奈川のラグビー中継で見ていました(当時テレビ神奈川はゴールデンタイムにラグビー中継をしていました。録画放送でしたがネットなどもなく、結果を知らない状態でドキドキ見ていたのです。昔を懐かしむ話になってしまいましたが、伝えたいのはそんなことではなく・・・・全勝対決というのは、それなりに珍しいものです。観戦すれば、きっといい思い出になると思いますし、語り継げる話になるかも知れません。そういう意味でも、現役学生さんにぜひ観戦に訪れて欲しいと思っております。

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